Q:「学生に建物を貸した際、契約書に『借主の負担で原状に復旧する』と記載した以上、全ての建物原状回復費用を借主に負担させることができるのでしょうか?」とある不動産会社からこのような相談を受けました。本当に原状回復費用の全てを借主負担にさせることができるのでしょうか。

1 通常損耗と特別損耗

 通常の賃借物の使用に伴う汚損・損傷(通常損耗)は、賃料支払と対価関係にあります。通常の使用をしている限り、汚損・損傷を回復するための費用は賃料に含まれているといえ、原則、通常損耗は賃貸人負担となります。
 しかし、通常の用法とは異なる使用や賃借人の不注意により賃借物を汚損・損傷させた場合(特別損耗)、賃借人の負担によりその部分を原状回復しなければなりません。ただ、特別損耗であれば原状回復費用の全てが賃借人の負担になるというものではなく、必要かつ相当な範囲に限られます。

2 通常損耗補修特約

⑴ 賃貸人としては、賃貸借契約を締結する際、「賃料を安くする代わりに全てを原状回復してもらいたい。」と考えることもあると思います。そこで、賃貸借契約に通常損耗補修特約を入れることが考えられます。

 ただ、気を付けなければならないことは、単に「通常損耗は賃借人負担」と記載しただけでは通常損耗補修特約が否定されるということです。最高裁平成17年12月16日第二小法廷判決では、「賃借人に同義務(原状回復義務。筆者記載)が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められるなど、その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という。)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である。」と判旨しています。

⑵ では、具体的にどの程度明確に合意されていることが必要なのでしょうか。

 否定された例として、東京地裁平成19年5月30日裁判例では以下の通り判断しています。「賃借人は直ちに賃借人の負担において本件建物を原状に復し明け渡さなければならないとの約定があり、賃借人が負担すべき原状回復義務の詳細については、畳の取替え又は裏返し、クロス・じゅうたんの取替え、障子紙・ふすまの張替え及び内壁の塗替え、本件建物内のクリーニング、本件建物のかぎの取替え、その他小修理との定めがあることが認められる」としつつもここには「賃借人の故意又は過失によらず、社会通念上通常の使用をした結果生じた損耗等に係る修繕費用をも賃借人の負担とする旨の一義的に明白な定めがなされているとはいえない」としています。また、「賃借人が負担する修理義務については、自然損耗を原因とするものは除く旨定められている」ことを示した上で、これは「賃借人の故意又は過失によらない損耗等に係る賃借人の費用負担を否定しているといえる」としています。その結果、通常損耗補修特約が明確に合意された事実はないと認定しています。

 一方、肯定した例として、東京地裁平成23年6月30日裁判例があります。「本件賃貸借契約20条1項は、原告が負担する原状回復義務につき『この契約が終了する時は、甲(被告)は保証金を以って第11条に依り乙(原告)が表示物件(本件物件)に設置した造作、内装その他の設備、物件を撤去し、且つ又その他の施設即ち床、壁を完全に新たにし、天井をペンキ塗装し、甲(被告)の判断により備品、付属品に破損異常があれば修理し或いは清掃し、エアコンはオーバーホールし、表示物件(本件物件)を事実上の原形即ち入居時の状態に回復する。以上の処置は甲(被告)の監督の下で、甲(被告)が指定する業者が実施するものとする。』ところ、単に賃借人が通常損耗につき原状回復義務を負担することのみならず、賃借人が負担する原状回復工事の内容が契約の条項自体に具体的に定められているから、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているということができる。しかも、前記(2)で認定した事実によれば、原告は、本件契約書に記名押印する前に被告又はAのBから本件賃貸借契約20条1項の内容につき説明を受けた上で、本件契約書に記名押印しているのであるから、建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせる旨の特約が明確に合意されているというべきである。」と認定しています。

⑶ このように裁判例を見ると、通常損耗補修特約について厳格に判断しています。賃貸借契約書にて明確かつ具体的に自然損耗の原状回復費用を賃借人の負担と明記するのみならず、そのことを口頭等でも正確に賃借人に伝えて理解してもらうこと(その証拠もあればよい)、かつ、他の条項を見ても自然損耗につき賃借人の負担とする内容がないことなどが必要になると思われます。

3 専門業者によるハウスクリーニング特約

 通常損耗補修特約が厳格であることから、賃借人の負担で専門業者によるハウスクリーニングによって原状回復を行う特約をする場合があります(専門業者による規定がなければ通常の清掃で足りるとした裁判例があります(東京地裁平成20年4月23日))。
 ただし、場合によっては、全額ではなく実際にかかった清掃費用のいくらか分という判断がされることもあります。

4 まとめ

 通常損耗修補特約にしろ専門業者によるハウスクリーニング特約にしろ、そもそもこれら特約の有効性や範囲の争点のみならず、消費者契約法違反や公序良俗違反も争点になることがあります。非常に難しい事項ですので、賃貸借契約締結前に内容を今一度確認し、かつ賃借人にも説明することが重要であり,少しでも請求が認められる可能性を高める必要があります。反対に,賃借人としても同様に、事前に契約内容を賃貸人に確認することが重要です。